日本の歴史から見た年功序列

日本の雇用特徴である「年功序列制度」について、その生い立ちから学んでいきましょう。

約80~90年前、第二次世界大戦の前はジョブ型雇用のいわゆる能力給が主流でした。労働者はより高い賃金を求めて企業間を移動する流動性があったと言われています。
労働市場において転職⇒賃金水準の向上の良い流れが自然と成り立っていたのです。
まだ日本が「大日本帝国」と名乗っていた時代のことです。

その後、第二次世界大戦を始めとする戦争が激化するにつれ、当時の日本国政府は国民・経済をコントロールし国力を増強するため、2つの法律を施行しました。

 

1つ目は「賃金統制令(1939年)」といい、賃金の上昇が軍需物資の調達に支障をきたさないよう管理するためのものでした。
この制度により「新卒者の初任給」「毎年の昇給額」を定めました。更に1940年に生活者の実態を把握するために「標準賃金」を導入します。

2つ目が「従業者移動防止令(1940年)」です。企業間における従業員の引き抜きや移動によって労働力が不安定になることを防止するために施行されました。
また軍需産業・食料・インフラなど戦争下で緊急性と重要性の高い企業へ労働力をコントロールするのにも利用されました。

更に戦後、大量の労働者の人事査定を個別に行うことが困難であったことから、機械的な人事査定をするために「年齢」「勤続年数」をメインとした査定方法が定着しました。

これらの戦争時代の名残が、現在の日本でも深く根付いています。

 

2019年の現代社会においては古臭い制度となってしまいましたが、戦後の混乱の中、日本が経済復興できたのは年功序列・終身雇用制度があったおかげです。
職人を育てるという「教育」を企業が担うことで、労働力の供給と産業の発展が安定することができたのです。

なぜこの制度が時代遅れになってしまったかと言えば、人口ピラミッドの変化が大きな要因でしょう。

年功序列制度を保つにはピラミッドの下層、若い労働力の存在が必要不可欠です。
企業の中でところてん式に人材がピラミッドを上っていたところ、出生率の低下で下層の人口が減り、支える人間が足りなくなってしまったのです。

カテゴリー:TOPICS, 人材派遣事業部
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